2017年 08月 24日
万葉集 現代語訳 巻四相聞563・564・565・566・567
563 黒髪に白髪(しらかみ)交じり老(お)ゆるまでかかる恋にはいまだあはなくに
白髪(しらが)まじりの黒髪(くろかみ)に
なるほど老いた今日までも
こんな苦しい恋にいままで
会ったことがありません
※559に呼応する歌。
564 山菅(やますげ)の実(み)成(な)らぬことを我(わ)に寄(よ)そり言はれし君はたれとか寝(ぬ)らむ
※枕詞:山菅の
※「実成らぬこと」実体がないことの比喩。
※「我に寄そり」私と関係があるかのように噂されて。〈寄そる〉は〈寄す〉の受身。
何もないのにわたくしと
まるで関係あるかのように
噂になったあなたですけど
ほんとはだれと寝ているの
賀茂女王の歌
565 大伴(おおとも)の見つとは言はじあかねさし照れる月夜(つくよ)に直(ただ)に逢へりとも
※枕詞:大伴の、あかねさし
※「見つ」逢った。難波の港を意味する同音の地名〈大伴の三津〉にかけて、〈大伴の〉を枕詞とする。
あなたを見たとは申しません
だれが見てもわかるくらいに
隈なく照らす月の夜に
じかにお逢いできたとしても
※〈オオトモノミツ〉は〈大伴三依(オオトモノミヨリ)〉に掛けて相手の名を明かしたものとされている。〈見つとは言はじ〉と言いつつ言ってしまっている。556に〈賀茂女王が大伴宿祢三依(みより)に贈った歌〉がある。
大宰大監(ださいのだいけん)大伴宿祢百代(ももよ)たちが駅使(えきし)に贈った歌二首
566 草枕旅行く君を愛(うつく)しみたぐひてそ来(こ)し志賀(しか)の浜辺(はまへ)を
※枕詞:草枕
※「たぐひて」肩を並べて。
※「志賀」福岡県福岡市東区に所属する島。博多湾の正面にある。ただし、大宰府から陸路豊前方向
へ向かう旅では志賀島を通過することはない。博多湾の海岸を広く〈志賀の浜〉と呼んでいたらし
い。
旅に出て行くあなたのことを
いとしく思って連れ立って
見送るためにやって来ました
志賀のあたりの海岸を
原注
この一首は、大監大伴宿祢百代。
567 周防(すわ)にある磐国山(いわくにやま)を越えむ日は手向(たむ)けよくせよ荒しその道
※「周防」国名、山口県の東南部。
※「磐国山」山口県岩国市南西部の峻険な山。岩国市街地を見降ろす岩国山のことではないようだ。
周防(すおう)の国の磐国山を
越えて行こうとする日には
峠の神をしっかり祀れ
そこは険しい道だから
原注
この一首は、小典山口忌寸若麻呂(しょうてんやまぐちのいみきわかまろ)。
これに先立つ天平二年(730年)の夏六月、大宰帥大伴旅人卿はにわかに足に腫れ物ができて病の床に苦しんだ。そこで急使を派遣して朝廷に伝え、腹違いの弟稲公(いなぎみ)と甥の胡麻呂(こまろ)に遺言したいと願い出た。右兵庫助大伴宿祢稲公と治部少丞大伴宿祢胡麻呂の二人に勅命を下し、駅馬の許可を与えて出発させ、旅人卿の看病をおさせになった。そして数十日が過ぎて幸運にも平癒した。そこで稲公らは、病がすっかり治ったというので、大宰府を発って都に上ることにした。大伴宿祢百代、山口忌寸若麻呂と旅人の子家持らは、皆で駅使を見送ることにし、一緒に夷守(ひなもり)の駅に着き、まずは酒宴を開いて別れを悲しみ、これらの歌を作った。
※「夷守の駅」未詳。福岡県粕屋郡粕屋町付近といわれる。現在日守(ひまもり)神社がある。