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とはずがたり 現代語訳 巻五7

7備後の和知
 あれこれしているうちに十一月の末になった。京へ向かう船があると聞くとなんだかうれしくなって乗り込んだが、次第に波風が荒くなり、雪やあられが激しく降って船はなかなか進まない。肝をつぶしてばかりいてもつまらないと思い、備後の国、和知というのはどのあたりかと尋ねたところ、今停泊している岸のすぐ近くだと聞いて、船を下りた。
 厳島神社からの船で一緒だった女房が書いて渡してくれた場所を訪ねてみたが、すぐ近くに探しあてた。なんだかうれしくて二、三日過ごしたが、主人の様子を見ると、毎日四、五人の男女を連れてきては叩いていじめているので、とても見ていられない。「なんてことをするのだろう」と思っていると、鷹狩りとか言ってたくさんの鳥たちを殺して集め、狩りと称して獣を持って来るようだ。まったく悪業の深い人である。
 鎌倉にいる、広沢の与三入道という近親の者が、熊野へ参詣するついでに下って来るというので、家じゅう大騒ぎし、村郡をあげて迎えの準備をする。襖を絹張りに仕立ててそこに絵を描きたがっていたので、深い思慮もなく、
「絵具さえあれば描けるのに」
と言ったところ、
「鞆というところにある」
と、人を取りに走らせる。とても後悔したが、もう遅い。持ってきたので描いた。
 主人が喜んで、
「いつまでもここに残って下さい」
と言うのをおもしろがって聞いていると、この入道とかいう人がきた。いろいろ心を尽くしてもてなすうちに、襖の絵を見て、
「田舎にあるとは思えない技量の絵だ。どんな人が描いたのか」
と聞くので、
「ここに逗留している人です」
と答えると、
「きっと歌などお詠みになるだろう。修行者というのはそういうものだ。お目にかかりたい」
と言う。面倒だと思ったが、熊野へ参詣すると聞いたので、
「お戻りになったときにゆっくり歌会でも」
と、お茶を濁して席を立った。


by sanukiyaichizo | 2017-02-21 23:47 | とはずがたり巻五 | Trackback | Comments(0)