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万葉集 現代語訳 巻五雑歌 沈痾自哀文③

私は身も心も世俗の塵にまみれているので、禍や祟りの原因を知ろうと思って、亀卜(きぼく=亀甲占いを行なう者)や巫祝(ふしゅく=祈祷師)がいると聞けばどこへでも出かけて行って尋ねた。嘘もまこともあっただろうが教えのとおり幣帛を捧げ、必ず祈祷した。けれども苦しみは増すばかりで少しも癒やされることはなかった。聞くところによると、昔は多くの名医がいて人々の病を治した。楡柎(ゆふ)、扁鵲(へんじゃく)、華他(かた)、秦の和(か)、緩(かん)、葛稚川(かっちせん)、陶隠居(とういんきょ)、張仲景(ちょうちゅうけい)たちは皆実在した名医であり、治せない病気はなかったそうだ。
〈扁鵲は、姓は秦(しん)、字(あざな)は越人(えつじん)といい、勃海郡(ぼつかいぐん)の人である。胸を開いて心臓を取り出し、別の心臓に取り換えて妙薬を施すと、患者はたちまち目覚めて元の状態にもどった。華他は、字は元化(げんか)、沛国(はいこく)の譙(しょう)の人である。病気が体内に凝り固まった重病人がいたら、腸を裂いて患部を取り出し、縫って膏薬を塗れば四、五日で治ったという〉

これらの名医にかかりたいと望んでも、今となってはどうしようもない。しかし、もしそのような聖医や妙薬にめぐり逢えたら、内臓を切り開いてあらゆる病を探し求め、膏肓(こうこう)という体内の最深部まで尋ねて行き、
〈肓は横隔膜のことで、心臓の下を膏という。ここは治療したくてもできない。鍼(はり)を通すこともできず、薬も届かない〉

体内にいて病を起こすといわれる二人の童子の逃げ込んだ場所を突き止めていただきたいと願っている。
〈晋の景公が病気になったとき、秦の医者の緩は診察したがそのまま帰って来たという。鬼に殺されたというのだろう〉

 ※「二人の童子」〈病気が二人の子供の姿になってあらわれ、膏肓の間に隠れる相談をする〉という
  夢を景公が見た、という話が『春秋左氏伝』に出ていて、原注のような顛末が記されている。転じ
  て〈病膏肓に入る(やまいこうこうにいる)〉とは、趣味や道楽が度を越して〈医者でも直せない
  くらい手に負えなくなった状態〉の比喩表現。


by sanukiyaichizo | 2017-11-14 00:00 | 万葉集巻五 | Trackback | Comments(0)