2016年 05月 17日
とはずがたり 現代語訳 巻一1~6
桜の花が開いたら
今日しっかりと見ておこう
油断していて一晩で
散ってしまうといやだから
(桜花けふよく見てむ呉竹の一夜のほどに散りもこそすれ)
という歌があるが、元旦の今朝は一晩で春になったことを告げる霞が立った。それを待ちかまえていたように、女房たちが着飾り美しさを競い合って並んでいる。十四歳になった私も人並みに後深草院の御所に出仕した。
衣装はつぼみ紅梅だったかな。七つ襲(がさね)に紅(くれない)の袿(うちき)、萌黄(よもぎ)の上着、赤色の唐衣(からぎぬ)などだったかな。梅唐草を浮き織りにした二つ小袖に、唐垣と梅を縫いつけたものを着ていたと思う。
今日のお屠蘇の役に、私の父大納言が給仕として参上した。公の儀式が終わって、御所さま(後深草院)は皆を中に召し入れられて、台盤所に控えていた女房たちもお呼びになり、いつものふらふらになる酒宴となった。父は、
「献盃は三三九度で行ないましょう。公の儀式でも九杯で返す献盃でしたので、内輪の盃ごとも同じ数にして」
と申し上げたが、御所さまは、
「今回は九三の二十七返りで行なおう」
と仰せられたので、案の定身分の高い方から低い方まで皆すっかりお酔いになった。そののち、御所さまが盃を父に下さるときに、
「今年の春からは、たのむの雁を私の方に寄せてくれ。いいな」
と仰せられてから盃を下さった。父はかしこまって九三を返盃して退いた。
「たのむの雁」とは、『伊勢物語』第十段で母親が、
私の娘が三芳野(みよしの)の
田の面(も)の雁が鳴くように
あなたのそばに寄りたいと
夜にしきりに泣くのです
(みよし野のたのむの雁もひたぶるに君が方にぞよると鳴くなる)
と詠んだのに対して、「婿の候補」とされた主人公が、
私のそばに寄りたいと
たのむの雁が鳴くように
お嬢さんが泣いたこと
決して忘れはいたしません
(わが方によると鳴くらむみよし野のたのむの雁をいつか忘れむ)
と返した歌の言葉だ。だから「たのむの雁を私の方に寄せよ」とは、「娘を御所さまにさし出しなさい」という意味になるが、そのときは御所さまが父になにかこっそりおっしゃったように見えたものの、それがどんなことを意味するのかわかるはずもなかった。
2雪の曙からの贈り物
拝礼などが終わった後、局(つぼね=部屋)へ下がっていると、
昨日降った真っ白な
雪も今日から踏みましょう
ふみ(手紙)も今日から書きましょう
これから先・・・
(昨日の雪も今日からは跡踏みつけむ行く末・・・)
などと書いて、あの方(雪の曙)からお手紙があった。紅の薄い鳥の子紙八枚、濃い紅の単衣(ひとえ)、萌黄の上着、唐衣、袴、三つ小袖、二つ小袖などが、平包みで届けられている。まったく思いがけないうえに、やっかいな贈り物だと思ってお返ししようとしたが、袖の上に薄い紙片に歌を書いて置いてある。見ると、
比翼連理の夫婦には
なれないまでも着てほしい
せめて鶴の毛衣(けごろも)を
あなたの体に添わせたい
(つばさこそ重ぬることのかなはずと着てだに馴れよ鶴の毛衣)
とあった。ご厚意で用意して下さったものをお返しするのも薄情だという気がするが、
お付き合いもしないのに
着慣れるなんてどうかしら
夜着の袂(たもと)がこれ以上
涙に朽ちると困ります
(よそながら馴れてはよしやさ夜衣いとど袂〈たもと〉の朽ちもこそすれ)
私を思ってくださるお気持ちが将来も変わらないなら、そのときにいただきましょう。
などと書いて着物をお返しした。
宿直(とのい)に上がっていたら、夜中に裏口の引き戸をたたく人がいる。なにげなく召し使いの少女に開けさせると、
「物をさし入れてそのまま行ってしまいました。お使いの姿は見えません」
と言って、また先ほど贈られたものがそのままある。
約束通りいつまでも
心変わりしないなら
夜半にひとり寝するときに
着物だけでも敷いてくれ
(契りおきし心の末の変らずはひとり片敷け夜半の狭衣)
という歌が添えてある。もう一度お返ししようと思っても、どこへも返すことができないので置いておく。
三日、後嵯峨法皇がこちらの御所へおいでになったときにこの着物を着たところ、父の大納言が、
「色もつやも格別美しく見えるが、御所さまからいただいたのか」
ときくので胸がどきどきするけれど、
「常磐井(ときわい)の准后(じゅんごう)さまからいただきました」
と、なに食わぬ顔で答えた。常磐井の准后さまは、雪の曙のおばあさまだ。
3後深草院の御幸
十五日の夕方、
「河崎から迎えに来ました」
と言って、実家から人が訪ねて来た。もう来たのかとうっとうしくなるが、いやというわけにもいかないので御所を出た。家に帰って、見ると、なぜだかいつもの年より屏風や畳も、几帳や引き物(カーテン)もことさら立派に見えるなあと思ったが、年の初めのことだからかしらと思ってその日は暮れた。
朝になると、お食事だの何だのと大勢で騒いでいる。殿上人の馬はどこにつなごう、公卿の牛はこっちだなどと言う。久我の祖母の尼君などが来て、集まってそわそわしているので、
「どうしたの」
と訊ねると、父は笑って、
「いや、院の御所が今夜方違え(かたたがえ)においでになるとおっしゃるので、年の初めだから特に体裁よくしておくのだ。そのときの給仕のためにおまえを迎えに行かせたのだよ」
と言われる。「方違え」とは、占いでよくないとされる方角への外出や旅を避けるために、まず別の方角にある家に出向いて、そこで一晩過ごすことだ。
「節分でもないのに何の方違えなの」
と言うと、
「おやおや、しようのない赤ちゃんだね」
と言って皆で笑う。
けれどもそんなことがわかるはずもなく、私が普段使っている部屋にもことさら立派な屏風を立て、枕元にも几帳が立ててあるので、
「こんなところにまで院がおいでになるのですか」
などと言うと、人々は皆笑ってわけを教えてくれる人もいない。
夕方になって、白い単衣の三つ重ね、濃い紅の袴(はかま)を着るようにと、部屋によこされた。香(こう)を薫(た)いてほのかにくゆらせている様子も、いつもと違って仰々しい。灯をともした後、継母が鮮やかな小袖を持ってきて、
「これを着なさい」
と言う。またしばらくして父がおいでになって、衣装かけに御所さまのお召し物を掛けたりしながら、
「御所さまがおいでになるまで寝てしまってはいけないよ。お仕えする女は、どんなときにもかたくならず、相手の言われるまま素直に従うのがいいのだからね」
などと言われるのも、いったい何の教えなのかさっぱりわからない。なんとなくめんどうに思えて、囲炉裏のそばに身を寄せ、横になって寝てしまった。
それから後のことはどうだったかしら。知らないうちに御所さまはすでにおいでになっていた。お車が到着し、なにかと大騒ぎして、お食事を召しあがったときに、父が、
「眠ってしまうとはしようのない娘だ。起こしなさい」
と言って騒いだところ、御所さまはそれをお聞きになって、
「いいよ。そのまま寝かせておきなさい」
というご様子だったので、起こそうとする人はなかったそうだ。
4後深草院との新枕
私は襖(ふすま)の内側に入ってすぐのところに置いてある囲炉裏にしばらく寄りかかっていたが、着物を引き被って寝てしまった。どれくらい経ってからか、なにも知らずに目を覚ますと、ともし火もほの暗くなっている。帳(とばり=カーテン)なども下ろしてしまったのだろうか。襖の奥に寝ている私のそばに、うちとけた様子で寝ている人がいる。これはどうしたことかと思い、すぐに起きて出て行こうとした。すると、その方は私を起きられないようになさって、幼かった昔に私のことをいとしいとお思いになってから、十四歳になるまで待ちながら過ごしてきた月日をあれこれと、書き続けられそうな言葉もないほどお話になる。けれども、耳にも入らず、ただ泣くよりほかになく、あの方の袂も乾いたところがないほど涙で濡らしてしまった。御所さまは私を慰めようもなく、それでも手荒くお振舞いになることはなかった。しかし、
「あまりにも何もないまま年が過ぎていくので、せめてこのような機会にでもと思い立って、訪ねて来たのだ。今ごろはもう他の人たちも、私がそなたを愛したと思っているだろうに、こんなにつれなくされて、どうしてやめることができるだろうか」
とおっしゃるので、「それでは人知れぬ恋でさえなく、人にも知られてしまい、一夜の夢からこのまま覚めることもなく、思い悩む日が続いていくのか」などと先のことまで心配してしまうとは、こんなときでもまだ考える心があったのかと、自分でもあきれてしまう。
「それならどうしてこういうことがあると前もってお伺いして、父にもよく相談させていただくことができなかったのですか」
とか、
「もう、人に顔を合わせることもできません」
とか、ぐずぐず言って泣いていると、あまりにも幼くて頼りないようにお思いになり、お笑いになる。それさえ私にはつらく悲しい。
一晩中、一言のご返事の言葉も申し上げることのないまま、とうとう夜明けを知らせる物音がして、
「お帰りになるのは今朝ではないのかな」
などという声がする。御所さまは、
何かいいことあったかと
だれもが思う朝帰り
(事ありがほなる朝帰りかな)
と、ひとりごとをおっしゃって、お起きになろうとして、
「こんなに冷たい仕打ちは意外で驚いた。振り分け髪の昔から親しい仲だったのに、甲斐のない気持ちがするよ。少しは人から変に思われないように振舞ってくれてもいいのに。奥に隠れてばかりいたら、人がどう思うだろうね」
などと、恨みごとをおっしゃったり私をお慰めになったりなさるけど、とうとうご返事申し上げないでいると、
「もう手に負えないな」
と、お起きになり、お直衣(なおし=普段着)などをお召しになる。お供の人が、
「お車を寄せよ」
などと言うと、父の声がして、
「朝のお粥をお召し上がりになるだろうか」
と聞いているが、これももう顔を合わせることのできない人のように思われ、なにも知らなかった昨日までの日々が恋しく思われる。
5後深草院の手紙
お帰りになったと聞いてもそのまま着物を引き被って寝ていると、いつの間にか御所さまからお手紙が届いていたというのもいやになる。後朝(きぬぎぬ)の文といって、こんなときに男が女に贈るものだ。
継母や久我の祖母の尼君などが来て、
「どうしたの。なぜ起きないの」
などと言うが、悲しくて、
「昨夜から気分が悪くて」
と返事した。それを人が「新枕の名残か」などと勝手に思っている様子であるのもつらいのに、そんなお手紙のことを騒ぎたてても、見ようとは思わない。
「返事がもらえないのでお使いの人が帰れなくて困っています。どうするのですか」
と私を説得しようとするが、どうにもならず、
「大納言に言いつけましょう」
などと言うのも耐えがたい。そこへ、
「気分が悪いそうじゃないか」
と言って父がおいでになった。
「皆が上皇さまのお手紙を持って騒いでいるのに、おまえはなんと情けないことをしているのだ。ご返事はさし上げないつもりなのか」
と言いながらお手紙を広げる音がする。
長年仲良くしてきたが
夜着を重ねることもなく
今はあなたの移り香が
袖に寂しく残るだけ
(あまた年さすがに馴れしさ夜衣重ねぬ袖に残る移り香)
と、紫の薄紙に書かれていた。
家人たちはこの歌を見て、
「うちの娘は近ごろの若い人とは違いますね」
などと言い合っている。とてもうっとうしいので起き上がりもしないでいると、
「いつまでも代筆ばかりというわけにいかないでしょう」
などと言って困り果て、お使いにはお礼だけ渡して、
「まったく大人げないことですが、相変わらず臥せっておりまして、このようにありがたいお手紙をいただきながら、娘はまだ拝見しておりません」
などとご返事申し上げたようだ。
昼ごろ、思いがけない人から手紙があった。見ると、
私の恋のともし火も
今日から消えてしまうのか
煙とともにあちらへと
あなたがなびいてしまったら
(今よりや思ひ消えなむひとかたに煙の末のなびきはてなば)
今まではあなたに冷たくされても生きながらえて参りましたが、これからは何を支えに生きていけ
ばよいのでしょうか。
などの文字が、
ただひたすらに消えてくれ
信夫の山の峰の雲
忍ぶ心の跡かたが
すっかり消えてしまうまで
(消えねただしのぶの山の峰の雲かかる心のあともなきまで)
という古歌を模様に彩った縹(はなだ=薄い藍)色の薄紙に書いてある。私は、その「信夫の山の」というところを少し破り取って、
気づいていただけないかしら
秘めた思いがあるゆえに
なびく決意もつかぬまま
乱れてのぼる夕煙
(知られじな思ひ乱れて夕煙なびきもやらむ下の心は)
とだけ書いてお返ししたのも、これはいったいどうしたことかと、自分でも思ったものだ。
6解けてしまった下紐
こうしてその日を過ごしたが、湯にさえ見向きもしないので、人々は、
「ほかの病気だろうか」
などと話し合っている。日が暮れたと思うころ、
「御所さまがおいでになった」
という声が聞こえる。
またどうしたのかと思う間もなく、御所さまは襖を引き開けてとても物慣れたご様子で入っておいでになって、
「気分が悪いそうだが、どうしたのだね」
とお尋ねになる。お答えする気にもなれず横になったままでいると、添い寝なさって、ありとあらゆることをおっしゃるけれど、「さあどうだか、あてになるものか」と思われるだけなので、
もし偽りのない世なら
あなたのやさしいお言葉を
私はどれほどうれしいと
思ったことでありましょう
(いつはりのなき世なりせばいかばかり人の言の葉うれしからまし)
という古歌を口に出して言ってしまいたいのに加えて、「恋の思いも消えるのか」と言って来られたあの方に、御所さまの方へ早くもなびいてしまったと知られるのもあまりに情のないことだと思い悩んで、少しのご返事も申し上げないでいた。すると御所さまは、今夜はとても荒々しくお振舞いになって、薄い着物はひどくほころんでしまったのだろうか、残る部分がなくなっていくにつけても、夜が明けてまだこの世に生きているだろうことさえ恨めしく思われて、
心ならずも下紐が
解けてしまったわたくしは
これからどんな折節に
浮き名を流すことだろう
(心よりほかに解けぬる下紐のいかなる節に憂き名流さむ)
などと思い続けていたが、こんなときにもものを考えるのかとわれながら不思議な気がする。
「輪廻転生して姿は変わっても夫婦の約束は消えないよ。逢えない夜があっても心はいつもひとつだからね」
などと誓いの言葉をいろいろうかがううちに、夢をむすぶ間もない春の短か夜は明けて、暁を告げる鐘の音がする。
「あまり遅くなって気を使わすのも面倒だ」
と言ってお起きになったが、
「名残惜しい気持ちなどなくても見送りくらいはしてくれ」
としきりにお求めになるので、それくらいのことをそう冷淡にもできないので、一晩中泣き濡らした袖の上に薄い単衣(ひとえ)だけを引きかけて外に出ると、十七日の月が西に傾いて、東には横雲がたなびきわたるところだった。
桜萌黄の甘(かん)のお着物に薄色のお着物、固文(かたもん)の指貫袴(さしぬきばかま)をお召しになったお姿がいつもより目にとまる心地がするが、これはだれに馴らされているのかと思うとなんだか怖い。
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